岐路
自分の中のプライドやら世間体やら全部捨て去ることができるなら楽しそうだなって人の仲間入り出来んのかもしんないけどそうなるのなら自分の努力してきたもの全部捨てなくてはいけないしそうすればいいという甘い声よりそうしない選択をしてんだよそれでいい。間違いでない。
捨てられたって言葉の表記がきっと今の自分には的確なんだろうと思う。
はやくたのしくてたのしくて毎日笑って過ごせるような生活したい。
あせらないあせらないそれが出来たらどんなに楽なんだろうと思うよ。それができないんだよねしかたない。
明日が来るのが不安です。逃げることが出来るのならば逃げてしまいたい。
あいつらの世界に私はもういない。もういない。ただ笑い過ごしてやりたいことして死ねればいいよ。けどそう簡単にそうできるのと思うなよ。これから先は長いんだよ。どうしようとしても。
私は守られてるんだなと思う。なんだかんだ振り返れば強運なんだよね。いまやっとそう思えるし、いざってときに必ず助けてくれる人がいたんだよね。いるんだよね。
普段の中ではさまよう迷路の中進んでいるけれど、出口は近いし、また次の迷路は用意されてるんだよ。
つらかったね。けど何を自分が今求めているのか分からないけれど、私に必要とするものが用意されていて、必要とする人と出会うことが出来る世の中なんだよきっと。
自己顕示欲
他人は結局自分が幸せであればそれでいいんだよ。
解ってるよ。
我が儘身勝手
早くどこか忘れ去られた世界へと行きたいと何度考え幻想抱いただろう。
私の中の何かが崩れて、やっと現実が見えてきたのだと思う。
私の目にしたものを貫いていたい。
誰でもいいんでないんだよ。
だから、どうしてもの想いが切り離せなくて、だから執拗に執着するんだよ。
すごくどうでもいい存在。すごく自己中な存在。
終止符
わざとでしょ。こういうこと望んでいなければそういうつぶやきしないでしょ。
私、そんなかまってちゃんで病んでるわけでないよ。
表面上の言葉ではそうなってしまうから誤解されやすくて現実はつながらないよ。
解ってほしいとは思わないからそれでよくて、これでいい。
日日草
近頃、自分は青い鳥を探しすぎていたのだなとようやく気が付いた
自己否定が加速しすぎていた
専門の先生は見る角度や位置によって同じものでも違う見え方ができるといったのがまさにこのことと共通するように思う
結局私は私であったということ
入学当初とバレー部一緒になったときから、この人と私は仲良くなれるのだろうかとすごく不安に思っていた相手と2年先ではがっつり仲良しどころかこころのパートナーとなっていることが不思議で仕方がない
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研修から本格的に始動する前にフロアの試験があった
そこで隣のユニットリーダーさんから「利用者さんを大切にしているね」ということを言ってもらえた
その言葉はずっと自分の支えになっていた
誰かの些細なつぶやきが誰かのこころの傷を癒せるということに気づかされる
人を傷つけられるのも人でその傷を癒すことのできるのも人しかいない
私はここ数日の闇から脱出できたのも専門学校の友人と会って話せたから
人を救える人でありたい
人を支えられる人でありたい
優しくありたい
甘えだけが優しさではないし
頭ごなしに起こるのではなく優しく諭せる自分であり続けたい
そうなれたのは介護士として働いた結果得られたものだと思う
感謝を忘れずに日々過ごしていきたい
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途中下校や遅刻を繰り返すようになった高1の頃
今ほどに人とのコミュニケーションが取れなかったからこそ余計にネットの世界にのめりこんでいた節がある
中卒の元友人はネットで出会い系まがいの行為をしていたことはなんとなく知っていた
だか自分の見ている世界を一瞬で変えるはこの手段しかないのかもしれないと自分も行ってみたが後悔しか残らなかった
当時の自分は、認めたくなくとも優越感に浸りたかったこころもあったと思う
自己顕示欲の強さ今以上に強かった
そのことを振り返れば私は大人になったのだと気づかされる
て開花される自分の才能ではなくても
努力と経験によって身に着けてきた知恵を活かしていきたい